思い通りにしたいと子育てしてたな、反省

子どもの日本語スピーキングが滞ってて焦っていた。それと母からあなたは息子にうっとりしてるね、と温かいトーンだったけれどそう言われたのが気になって、いやいや結構大変で日々うんざりすることあるよ、と言ったところからだんだんとうんざり気分が増えてきていた。そこに、ちょっとの睡眠不足と、公園行かない、服着替えない、が重なって、もうしらない!1人で遊んでればいい、ママ疲れたから寝てるから!とかまってあげないで数時間過ごした。その後は渋々服も着替えて公園行って、私も30分くらい横になったら体がラクになったので2人で機嫌良く過ごした。

帰宅後、疲れを取ろうと久しぶりに湯船につかることにした。子どもも1人で遊び始めたのでよしよし今だ、とお風呂に入っていたら子どもがやってきてドアを開けて緊張した顔でおずおずと私の顔色を伺っている。ママ怒ってるかなあ、またかまってくれないのかな、というかんじで。私が明るい声で名前を呼んだら、子どもはパーッと明るい表情に変わり、僕、僕、とお風呂に一緒に入りたいと表現する。アメリカではこの歳でも親と裸になってお風呂に入るのはよろしくないんだけど、今回はもちろんOK。そしてお風呂に入って、おもちゃないんだよ、何して遊ぼうね、と言いながら息子を洗おうと石鹸を泡立てているとその泡をすくって私の体を洗い始めた。たまに一緒に入るときも、ママの体洗ってーと遊びですこし洗ってもらうことはあったけど自分からやることはなかった。お風呂遊びをしないでせっせと私の体を洗うというか、泡を塗ってお湯をちょろっとかけるだけだけど、一生懸命やり続ける。ありがとう、洗ってもらうと気持ちいいね、というとはにかむ。

私の機嫌を取ろうとした子どもに申し訳無さを感じ、その行動に成長も感じる。愛おしいなあ。

もうこんなことしないぞ、と肝に命じる。疲れたらテレビを見せても30分休む。親に嫌われたと萎縮させるよりずっといい。室内遊びだと疲れて自分が不機嫌になってしまうと思ったら、無理やりでも外遊びに連れ出す。これはしばらく実験的に。言葉は結果を焦らず気長に構える。もしかすると日本語を話さないかもしれないけど、彼は好きなことを一生懸命やる子になればいい。日本語は彼が幸せになるために最重要じゃない。

そして心にもないマイナスなことは言わない。口に出すと強く引きずられてしまう。心に思っても引きずられる。恐ろしい。

幼児に緊張させて機嫌取らせるなんて、弱い者いじめだ。反省。

私は摂食障害のせいで選択を間違ってばかりの人生、何も出来ない、もっといい親だったらもっと社会的に認められるような人生歩めたのに、と嘆きが止まらないけど、最近、あの親でなければ環境も性格も性質も違って摂食障害にならなかったかもしれないけど、それだと私は産まれてない、私がいなければ自分に起こったことを嘆くことすらできない。そんな単純なことが受け止められるようになった。もう死のうと思っていた15年前からすると大進歩。今が満足だからそう思える。

そうか、もっと幸せだったのにとは思わないんだ、私。いまで十分幸せ。いつもいつも自分に足りないものを見つけ出しては多大な労力と時間をかけて埋めて、埋めてしまうとこれは重要ではなかった、時間を無駄にした、と思う。社会的に認められる、ってワクワクするようなやりたいこと?違う。道は辛いけど劣等感に苛まれたくないからなんとかしないと、というこの感じ。間違った選択な可能性大! やりたいこと、いま持ってるものに目をやること。こんなかわいい子どもを持てて、責任感と笑いに溢れた夫に支えられて、幸せなのです。やりたいことは両方の親含めた家族で楽しく暮らすこと、スモールビジネス立ち上げること、子どもに教えられるよう日本の歴史を学ぶこと。