心の弱さを直視したい年齢になったかな

私は心が弱い、自分のだめなところを直視したいけれど自分を虐めるのは茶化しながらぐらいでちょうどいい。

弱さ1 自分は醜くて相手にされない

毛深さが小学生時代から社会人になって脱毛するまで、私の劣等感の根源だった。母に剃ると濃くなると言われ剃るのを禁止された中学時代、剃ったものの量が多くて太いからさわるとチクチクしてこんな手足で彼氏なんて作れないと絶望した高校時代、過食嘔吐で浮腫んで過食中毒だった大学時代、社会人になったらそこに社会の人間関係の難しさに対人恐怖症になった20 代前半。心が弱いってだけではないけれど、やっぱり弱いんだと思う。自分を励ますことができない、優しい他人の言葉が心のうちに届かない。自分は半分は自分の中、半分は他人の中にある、自分だけでコントロールできるものでもしたらいいものでもないと思う。

自分を励ますことができる人って客観視ができてるのかな、すごいなあ。いいメソッドだ。

頑張る馬力がいるときはドラマチックな筋書きと役に成り切りメソッドで乗り切れることがわかっている、人にもおすすめしたい。

自分の感性そのままを感じることと、大人として取り繕うことと、両方が必要なんだろな。

時間で区切ればいいかな。感性と大人のつつしみというか。

 

美人は心も美しい

全員ではないのだけど、女性にも美人と言われるタイプの美人は素直で心も美しい。だからバリバリ出世するような道は行かない人たちだけれど、あんなふうに素直に、他人と比較して落ち込むことはあってもねじ曲がらずに、自分も頑張ろうと思う心の持ち方は見習いたいなあと思う。

すごいなあ、パワーがあるなあという人も見習って、自分流に明るく力いっぱい日々を過ごしたいな。でも生理で体調悪い日はお休みちゃんとする。

まだまだ続く劣等感

自分は世界10億位の人間だと思うと位置確認が出来て落ち着く気がする。世界78億人、先進国人口がうち15%、そのうちでの自分のレベルが平均以下しかし最底辺ではないということ、後進国に分類される中国インドとか他にも各国エリート層の優秀っぷりを加味し、10億位くらいが客観性とプライドとのバランスの取れる位置かなと思うのです。10億位と思うと、ああじゃあしょうがない、約10億人も私の上にいるんだからいちいち周囲と比べて落ち込むのも馬鹿らしい、と思える。

この謎のランキング、何のランキングなのか自分でも分からない。生活レベル?先天的な能力レベル?後天的も含めた?稼ぐお金の順位?。。。稼ぐお金、かなあ。本でハーバードMBA卒のエリート中のエリートの人々の様子を読んで、私なんてウイルスレベルの人間です、存在する価値がほとんど無いという気持ちになった。

お金をたくさん稼ぐ人が価値がある、生きていて良い、そんな考えが根深く自分の中にある。偏っているだろうけど世界で1人私が創造した考えでは絶対ない。

世界で王様だけが価値があり、平民はただ意味なく産まれて死ぬものなイメージの世界観だな。私何か価値を作ることはできるんだろうか。

お金を稼いでいなくても、子育てに力を注いでいる人は本当にすごいと思うから、価値のある時間を過ごしていると思う。子どもに付き合い、家事をして、自分1人の時間も睡眠時間さえままならない中でより良質な子育てができるように勉強して準備して、優しく理解ある良い母親を全うしている母親のパワーには畏敬の念を覚える。

教育者が尊敬されるのならば、子育てを全うする親も尊敬されてよいはず。違いは面倒をみる人数とお金を稼いでいるか?専属スーパー家庭教師であれば人数が少なくても尊敬される気がする。お金か。

お金という尺度を霞ませるぐらいの強い尺度はないものかな、宗教くらい?死生観?あの世にお金は持っていけないと思うと、たかだか100年の人生しかないのに、稼ぐお金の額だけに気持ちを曇らせられてやる気を無くして人生終えてしまうのはもったいないの極み。

成功した、価値ある人生とは、どれだけ他人に仕えることができたかで決まると言っていたクリスチャンの友人。量でなく質でも測れるところがいいよね、この尺度。

私も自分の尺度を見つけたい。

 

 

人と関わることでしか劣等感はなくならない説一理あり

女子としても仕事人としてもエリートコースを歩めなかったことのコンプレックスは、成れなかった人間として生きていく情けなさ、極端に言うとこの人生に意味があるんだろうかという考えになってしまう。

私の定義するエリートコースじゃない女性はたくさんいるわけで、そういう人と出会うと自分の世界観の狭さを認識するとともに、エリートコースでない人の良さも分かる。

まず子どもを何よりも大切にする。自分よりも大切にしている。エリートコースな人は自分がしたいことと子どもがしたいことのバランスを取って子育てしているかなと思う。子どもにやりたいことを極限までやらせてあげるには結構な自己犠牲というか我慢、自己抑制が必要で、そうすることが良いこととは断言しないけれど、私は好きなだけ好きなことを楽しくやっている子どもを見ると嬉しくなる。

子どもの良いところ、すごいところを嫌味なく他人に謙遜しない人も素晴らしい方針で学ばなくては。子どもは大人の話を聞いているから、でもこれができないとか、でもこれしかできないとか、私が劣等感に苛まれるまさにその要因の思考で子どもについて他人に語ってしまうのは本当に直さなくては。

 

女子力コンプレックス

思春期以来たくさんのコンプレックスを抱えている。女子力もその1つ。女子力高く、エリートサラリーマンの妻となっている人を見ると、ああ私が努力しても出来なかった、成れなかったことをサラリとナチュラルにやっておられる、とコンプレックスを思い出す。今からしても、昔も、女子力高く、エリートの妻になりたかったわけではない。ただそれが女子として正解、女子として偏差値高いと巷では言われるからそうならねばと思っていた。全ての偏差値は高くなければばらぬという自意識がある。出来なすぎてコンプレックスの塊になるのだけれど。

本当に羨ましいのは、研究者、専門家として仕事している人。学生中はずっと摂食障害で勉強に努力する余裕がなかったから、女子力のように努力したけど出来なかった、という一区切りがつかない。治ってから1年学生やってみたから、天才でも秀才でもないことは分かったけれど、もうちょいやってみないと諦めきれないな。来世で叶えたいリストだな。

好きすぎることはしたらいい。ただのうっとり感の中で生きるのであっても、人生最高の日々になる。それ以上のことって人生にあるんだろうか。

次にやることは具体的にはまだ描けないけれど、金銭的には老後資金が貯金できるくらいの月収40 万以上の収入になって、50 代で独立できる仕事がしたいなあ。

人格的には人の助けがすっとできる人になりたい。

外見はフランス女性か、な、、自分で言ってて笑える。あのほっそり、ファッショナブル、優雅、行ったことも実在の人も知らないけれど憧れるよね〜。

 

 

水木しげるさんの妖怪感好き

You Tubeばっかり見てるなあ。好きな水木しげるさんのインタビュー見て子育てのヒントをもらえて肩の力が抜けた。食べさせて寝させて体動かさせて健康に、私の価値観から外れたとしても好きなことをさせて、人一倍努力することを背中で見せる、何かに苦しんでいるようなら親は助ける、それで良いんだなと思った。

私の経験した辛さは味わさせたくない、就職で苦労しないよう、お金で苦労しないようトップ校に行かせないと、リーダーシップとか私も持ち合わせてないけれど育まないとかなあとか考えてたけど血眼にならなくていいか。

ただ、他人のことに心を配れる、世話を焼ける人に私もなりたいし、なってほしいな。そうすると実利があるというと殺伐としてるけれど、社会の輪が広まって自分も人も生きやすくなる。

自分イメージのアップデートをしよう

自分の自己像が摂食障害が始まった中学生で止まっているなと思う。その後、年齢を重ね、狭い世界ながら経験を積み、今も自分の面接官受けが良くない点が何なのか(笑)よくわからなくて試行錯誤だけれど、たぶんモテない点と関連があるんだろうけれど(笑)、向上したかはともかく

中学生の自分とはやっぱり違うのですよ。中学生の時が淡い色1色だったとしたら、今はその淡色ベースにジャングルのような濃い緑あり赤あり黄色いありとポツポツ引き締め色が描かれたようなかんじかな。これからまだまだ面白い絵にしていきたいなと思う。

失敗のない話はつまらない。失敗のない挑戦はない。