親への気持ち

算数できなかったらどうしよう問題は解決。夫いわく、中学までの算数ができるできないは数学能力に関係ない、できなかったのならそれはいい教えてくれる人に出会えなかったこと、自分が諦めてしまったことが原因だろうと。夫が教えてあげられるからひと安心。

するとムクムク頭をもたげてくるのが、なぜ私の親はそうしてくれなかったのかという疑問。いやお金を払うということではしてくれた。たしか子どものときは赤ペン先生とか進研ゼミをやってた。ただそれでわかった、って気はしなかったんだよね。中学では公文と数学塾に行った。でも、ぼんやり最低限、平均的はなんとか取れる程度にしかならなかった。それで良しとすればいいのか、ほんとに日本人全体を母数としての十人並みにしかできないから自分で数字管理方法を開発するとか無理、数字絡むことは偏差値40レベルで出来ると認識しよう。

親って、お金払って他人になんとかしてもらうだけじゃなくて自分の頭と時間と体を使って教えないと本当に子どもが困ってることは解決してあげられないんだと思う。私の親は悪気があったり怠けてそうしたわけじゃないけど、お金を払ってあげて、批判して、栄養あるごはんあげてれば子どもは自分で問題を解決できると信じてたんだと思う。そういう子もいるだろうけど私はそうじゃなかった。栄養ある美味しいごはんより、料理は手抜きであんまり美味しくなくても私の勉強をしっかり見てくれて、怒るだけじゃなくて解決方法も必死に一緒に探してくれたほうが良かったな。

これは夫に求められることだから反省しつつ他山の石にしよう。

 

親が優秀な教育者、保護者じゃなかったことに恨みのような気持ちを抱いてしまうのは自分で嫌。完璧じゃないけど十分だったと思う。教育者、保護者として優秀な親を持った人たちを見ると羨ましくて妬んでしまうのをどうにかしたい。大方の人はそんな親のもとに産まれてないし、終始、人を妬んで恨んでいる人生なんて絶対いや。自分が得られたもののなかで精一杯出来ることをして、それが誰かより劣ったものであっても、今生はそれで良しとして楽しく朗らかに生きるほうがずっといい。それ以上の望みは来世リストに入れる。

 

親と言い争いになったり、さらに恨みを持つのがいやで聞けないけど、自分としてはずーっと環境に耐えてきた。私は摂食障害を15年患ったわけだけど、それでも少なくとも日本では親を批判するのはタブーだよね。親は精一杯やったんだろうけれど、私にとっては辛い家族生活だった。親元を離れて、お金で苦労もしたけど精神疾患に再度なることはなかった。ずっと満足した生活ができた。親の扶養であるときは精神科に行きたいって思いもしなかった。親がそうアレンジしないならそれを受け入れるだけだった。親の決めた世界の枠の中でだけジタバタしてたかんじ。社会人になって半年以内に精神科と心理カウンセリングに行き始めた。日本を離れてすっかり摂食障害は良くなった。親の呪縛は保護であり、疾患の元だな。気をつけよう。