まだまだ続く劣等感

自分は世界10億位の人間だと思うと位置確認が出来て落ち着く気がする。世界78億人、先進国人口がうち15%、そのうちでの自分のレベルが平均以下しかし最底辺ではないということ、後進国に分類される中国インドとか他にも各国エリート層の優秀っぷりを加味し、10億位くらいが客観性とプライドとのバランスの取れる位置かなと思うのです。10億位と思うと、ああじゃあしょうがない、約10億人も私の上にいるんだからいちいち周囲と比べて落ち込むのも馬鹿らしい、と思える。

この謎のランキング、何のランキングなのか自分でも分からない。生活レベル?先天的な能力レベル?後天的も含めた?稼ぐお金の順位?。。。稼ぐお金、かなあ。本でハーバードMBA卒のエリート中のエリートの人々の様子を読んで、私なんてウイルスレベルの人間です、存在する価値がほとんど無いという気持ちになった。

お金をたくさん稼ぐ人が価値がある、生きていて良い、そんな考えが根深く自分の中にある。偏っているだろうけど世界で1人私が創造した考えでは絶対ない。

世界で王様だけが価値があり、平民はただ意味なく産まれて死ぬものなイメージの世界観だな。私何か価値を作ることはできるんだろうか。

お金を稼いでいなくても、子育てに力を注いでいる人は本当にすごいと思うから、価値のある時間を過ごしていると思う。子どもに付き合い、家事をして、自分1人の時間も睡眠時間さえままならない中でより良質な子育てができるように勉強して準備して、優しく理解ある良い母親を全うしている母親のパワーには畏敬の念を覚える。

教育者が尊敬されるのならば、子育てを全うする親も尊敬されてよいはず。違いは面倒をみる人数とお金を稼いでいるか?専属スーパー家庭教師であれば人数が少なくても尊敬される気がする。お金か。

お金という尺度を霞ませるぐらいの強い尺度はないものかな、宗教くらい?死生観?あの世にお金は持っていけないと思うと、たかだか100年の人生しかないのに、稼ぐお金の額だけに気持ちを曇らせられてやる気を無くして人生終えてしまうのはもったいないの極み。

成功した、価値ある人生とは、どれだけ他人に仕えることができたかで決まると言っていたクリスチャンの友人。量でなく質でも測れるところがいいよね、この尺度。

私も自分の尺度を見つけたい。