子育てって因果関係がはっきりしないから楽になれるかも

日系人の教授が子育ての成功にはっきりした方法論はないと言っていて、気持ちが楽になった。と同時に、仕事を辞めたことへの後悔というより、また自分の力を発揮できて居心地のいい職場が見見つかるか不安になる。子供が6ヶ月のときはこんなかわいい子を他人に育てさせるなんて絶対嫌だと思ったけど、社会的地位を失うことになった。そんな大した地位じゃないけど、自分では満足してた。また仕事始めるなりしたとき、自信を持って私はこれをやっている、分かっている、と言えて、外出できて、理論派の上司の下で働きたい、もしくは自分のビジネスを持ちたい。そうなると、自分の判断に後悔しないようにしないとしんどい。その時のベストの判断だと理屈付けできることが必要かな。

後悔のない人生ってなんなんだろう、そんなのできる?子どもに人に、私の選択はしてほしくない、恥ずかしいこといっぱい、もうそれでいいとも思う。ロックじゃないかと。それくらいの人の方が面白いよね。失敗話じゃないと面白くないんだよね。でもそれも自分で悶々とするんじゃなくて人に話さないと面白くならない。人に話せない失敗もあるくらいも深みがあっていいんじゃないでしょうか。全部武勇伝じゃ白ける。人にどう思われるかは考えないけど、人と話して笑えることがない人生はつまらない。

アメリカの年齢によらない教育機会の多さ、起業への意欲、これに乗ってみることができるほど有り難いことはない。

整えられた道を努力してすーっと走ってきた人が羨ましかったけど、それはなぜか私にはつまらないんだと気づいた。絶対に逸れてしまう。

他人のことと人類学と

You TubeとFB見てるとすばらしい人がいると見せつけれ、落ち込む。人類学的なもの見ると、なんでもない特別でない生活でもその世界に没入して生きていることが美しいと思う。いまは自分がどの世界に所属しているか分からないから大変なのかな。これを研究するには人類学というより心理社会学かなあ、、、。昔は1つの村に住んでればその住人として一括に同じ設定の世界の住人としてよそ者の視点で観察調査したんだろうけど、まず今は同じ町に住んででも同じ世界に住んでいるといえるんだろうか。人生の履歴がかなり違うはず。行き先も違うはず。本人が参照してる人もご近所さんじゃないはず。あと西洋人がインドネシアで調査したような、全く違う人間として観察するって技術として使えるだろうけど、インサイダーとして見るのと研究結果が違ってくるよね、ここらへんは社会学で講義受けた気がする。人類学だとどうなんだろ。人類学も学問の蓄積があるから知らなきゃいけないことが多くてエベレスト登山にパジャマで挑むような気になるけど、それが楽しめないならやめたほうがいい。

子育て

のびのび育ってほしいと言うお母さんに出会い、しっかりこう育ったらいいという道が見えていてうらやましい。恐らく自分の育ってきたやり方が良かったからその発展型でより良くということではないかと思う。私は自分のようにはなってくれるな派だから、おお、眩しいと思う。夫はすくすく育ち、人生に挫折もなく、自分の通ってきた道でこどもも育てば間違いはないと思っている人だし、私もそう思うから、なるべく叱らずダメと言わず、笑顔で見守り、付き合い、子どもにはやりたいようにやってほしい。

自分以外の道で良い道って分からないもの。すくすく、親から見たら仕事にならないことでもやりたいことを褒めて後押ししてあげたらいいのかな。あとよく話を聞くこと、ジャッジせずに真剣に解決するまで相談にのること。

悩むとか無意味なんだな

おそらく私は悩むのが好き。何が自分でコントロールできて何ができないかが見極められたら悩まないんだけど、自分の努力で事態が良くなるものなかな、という事柄に関しては悩む。悩むのに慣れすぎて、もう脳が甘美ささえ味わってる気がする。出来ない在庫管理の仕事とか、悩む、自分で勉強するもいいけど、上司に私には経験ないから教えてくれる人つけてください、で問題の責任持つ人を移してしまうべきだった。会社ではそういう知恵が必要だった。自分を守りつつ、真正面から対処することもする。

今の悩みは、子どもの遊び時間と場所。昼過ぎには連れ出したいけど、公園連れていっても誰もいなくて遊ばない、帰ると言う。どこかに子どもで溢れた公園はないものかなあ。

あと日本語より違う言葉が優位になってる。私よりパパと遊ぶのが楽しそう。これはいい、ちょっと寂しいけどラクだし、将来的にもいい。言葉はもう諦めの気持ちで見守る。私側から嫌がられない程度に働きかけるけど、もう、明るく元気なこどもであればいい。来年には日本語幼稚園に入れるしね。

雨の日の過ごし方

朝は外を散歩、昼過ぎまで遊んで眠そうな気配が出てくるか3時になったらドライブに連れ出して何時間でも車にいる。車から連れ出したらもう眠らない。夜はごはんとお味噌汁にして、10時まで寝ないことの覚悟を決める。

劣等感は自信じゃ無くならない

と今日思った。私の人生は劣等感との苦闘。自分の欠陥を、それは自分の醜いと思う外見だった、を修理しようともがき、次に人生を楽しんで自分を魅力的に魅せられるように、人に楽しい人だと思ってもらえるように、自分の中で充足感を感じられるように、お金を使って欲しいものは何でも買って、行きたいところは行って、私の摂食障害を治すきっかけをくれた大好きだった国に夢だった留学をし、仕事をして住み、大分と満足して劣等感も人並みのサイズになったと思う。

そして今、また違う環境に来てみると違う劣等感がむくむく心を占めてくる。そしてこれは自信を持てばいいとか、自信をつけるように努力すれないいとかじゃないと思い至った。自信は結局、人との比較本位で、優劣に基づくもの。環境が変わると瓦解してしまう。私が注意を払うべきは自信ではなく、自分の道をもくもくと着実に進んでいるという実感。スモールビジネスを立ち上げる、歴史を学ぶ、家族で温かく暮らす、そして小さいことでも赤の他人のためになることをする。

胃が傷む

食べ過ぎたよう。いつもなら大したことない夜食がダメだったようで夜も痛み朝も痛みやっと良くなってきた。ニンニクたっぷりのパスタも良くなかったかな。

この胃の痛み、摂食障害だった頃に吐いた後がこの痛みとダルさで大変だったなあ。本当に何もかも嫌になって思い立って週末にタイ旅行したことがあった。金曜の夜に出て月曜早朝に帰ってくるという。最初の日、ホテルに辿り着かなくて焦ったな〜、夜のタイの町を1人延々と歩いた。GPSも使えなかった気がする。いやー危ない。

でも楽しかったなあ、タイ1人旅。そんな急に決めて行った旅はそれが最初で最後。すごく満足しちゃって後は行かなかったな。

タイ旅行行きたーい!あったか〜い気候の中でマッサージ受けたい。